「79」 今晃さんの彦作型「引き眉」こけし

国恵志堂さんが開設されているHP「こけし千夜一夜物語Ⅱ」(http://fukujyusoan.moe-nifty.com/kokeshi_fan_night2/2016/10/post-1837.html)の「第124夜:引き眉こけし(今晃)」の話が掲載されています。その中で『戦前のこけしに、この引眉をはっきり描いたものを見たことはない。この引眉に最初に気付いたのは、福寿さんのえじこであった。当時は、えじこなので変化を付けるためにそのように描いたのだろうと思っていたが、今回の今さんのこけしを見て、それが引眉を描いたものであったことが分かった。また、こけしの奥深さを知る事例に出会った。「こけしの描彩、恐るべし!」である。』と記されています。

今さんの彦作型こけしを調べて見ましたら、写真左の平成1年5月23日に作られた4寸「G274」が、今回、取り上げられたこけしに該当し、この時にのみ「引き眉」こけしを作られたようです。今さんは、他にも数回彦作型こけしを作られていますが、右写真の「E158」昭和59年12月9日作5寸のように全て眉は描かれていました。この「第124夜:引き眉こけし(今晃)」のコピーを見てもらい、お尋ねしましたら「引き眉という言葉や意味を初めて知った」「たまたま、その時の原こけしの眉が薄かったのかなぁ~?(原こけしを見て作ったかどうかも??です)」と、今さんは意識的に「引き眉」として描いた記憶はないようでした。しかし、今さんは、弘前博物館の木村玄三コレクションの島津彦作こけし(彦作作こけしはこの一種です。)を実際に見ておられます。彦作こけしには眉があったことを認識されている上での、「薄い眉(引き眉)」に描かれたのですから、そこには、何かあったのでしょうネ!

*「引眉」とは、「眉を剃る(抜く)」化粧法で、平安時代には元服時に男性貴族が行い、剃った眉の上部に殿上眉という長円形の眉を墨で描いた。江戸時代になると女性のみの習慣となり、元服時に「お歯黒」とセットで行われた。現代の若者たちも眉を剃(抜く)って、新たに眉を描いた化粧をされている。

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