2月11日、12日、第41回秋田県こけし展が、秋田県湯沢市で開催されました。今回は、沼倉孝彦さんが収集された今晃さんのこけしを「今晃工人の軌跡」とした特別展も同時に開催されました。 沼倉さんは湯沢市在住で、こけし蒐集者からこけし工人になられた方で、この秋田県こけし展や各地のこけし展にも出品をされ、受賞もされています。
今晃さんは秋田県大館市出身で、沼倉さんが紹介された「今晃工人の軌跡」案内のように、大湯温泉の奈良靖規こけし工場で初めてこけしを作られてから、大鰐や鳴子などの各地で修業をされ、津軽の嶽温泉開拓地にて30年ほど在住、こけし製作をされていました。そして、平成26年に故郷の大館市に転居され、こけしを製作されています。
今さんも秋田県在住のこけし工人さんですので、この秋田県こけし展に出品されることもあるかもしれませんネ。
「今晃工人の軌跡」 湯沢市 沼倉孝彦
これまでの特別展示では、秋田県内で生産されている木地山系以外の系統として、鳴子系の中で外鳴子と言われる本庄こけしを一度紹介している。今回は津軽・鳴子の二つの産地をまたにかけて修行し、現在は独自の境地に至った大館市の今晃工人を取り上げた。
今晃工人は、昭和28年4月、大館市に生まれた。高校生の頃からこけし製作に興味を持ち、昭和47年高校卒業と同時に十和田工芸所(奈良靖規の工場)に就職、工人の道を歩み始めた。同時期川連の大類連治も十和田工芸所で働いており、そのよしみで連治さん宅に泊まりがけで遊びに来たことがあるという。同49年に青森県弘前市の佐々木金一郎の工場に移り、巨匠・長谷川辰雄に師事して本格的に津軽系こけしの製作を始めた。同52年に身上がりし弘前で独立したが、同53年には木地技術を深める目的で鳴子温泉の岡崎斉司に弟子入りした。同56年10月に鳴子での修業を終えて弘前に戻り、同57年1月から同市観光施設「ねぷたの館」などで製作を再開した。このころから古い津軽こけしの復元に取り組み、同時に本人型の製作にも取りかかる。同58年に岩木山の麓・嶽温泉に移住し、以降しばらくここで製作を続けていたが、平成25年に持病が悪化して入院し製作を一時中断、同26年に嶽温泉の工房を引き払って大館に帰郷した。以降自宅にろくろを備え付け、少しずつ制作を再開して現在に至る。近年は、津軽・鳴子の伝統的な型と、併行して作り続けてきた本人型双方が見事に融合した快作を次々と世に送り出している。
今回の展示では、その進化の過程と多様性が理解しやすいよう、津軽・鳴子の系統を問わず極初期から現代まで出来るだけ多くの作品を時系列に並べた。作品そのものに集中できるよう目録も省いている。
また、参考として津軽の戦前戦後の系列作品や、津軽のこけしを語るときに外せない「木村玄三コレクション」を紹介している「津軽の民芸」、加えて収集家の研究類、コレクション図譜など、彼を知るうえで欠かせない文献類なども併せて展示した。
ここで今晃工人についての押し付けがましい解説は不要である。彼を既成の系統で縛ることが無意味になりつつある現在、こけし・玩具・板絵などの多彩な作品を前にさまざまな角度からアプローチして、その存在感と果てしない魅力を感じてもらえればと思っている。