「62」 今晃こけしの署名の変遷

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  今晃さんのこけし署名は、時代時代によって違っています。そのこけし署名の変遷を今晃こけし図譜「木おぼこ・今晃」の「こけし署名の変遷と今晃さんの概要」「こけし署名の変遷」において、写真掲載をしていますので、ご覧ください。

署名は、①大湯時代(昭和47年4月~50年1月) ②辰雄弟子・大鰐時代(50年2月~51年3月) ③辰雄弟子・門外時代(51年4月~52年6月) ④和徳時代(52年7月~53年3月) ⑤鳴子時代(56年8月30日、鳴子奉納こけし) ⑥館時代(56年11月~57年8月) ⑦禰宜町時代(57年11月~58年5月) ⑧嶽極初期(58年6月末作の「ドンコロ」のみ) ⑨嶽初期時代(58年7月10日) ⑩58年7月10日作の極一部 ⑪嶽今晃時代(58年7月~62年5月) ⑫晃時代(62年5月~平成26年4月) ⑬大館時代(二人挽き作・平成26年5月~) ⑭大館時代(機械ロクロ作・平成26年10月~)となっています。

今さんの文字は個性的です。①が大湯時代に初めて作られたこけしにされた署名です。②③は、長谷川辰雄さんの弟子時代で、辰雄さんから「習字を習い、きちんと署名をするように!」と言われ、かなり練習をされたようで、楷書体的な署名です。⑤の和徳時代には、本田功さんに「ここは弘前なのだから、弘前と入れた方がイイ!」と、署名に「弘前」が入っています。⑦の禰宜町時代は行書体的になっています。⑨⑩⑪と嶽移住後の署名は「嶽温泉今晃」「岩木山嶽今晃」などと、悩まれた結果、「嶽今晃」とされました。そして、⑫の「晃」となりました。大館移住後は、二人挽きロクロ作には「大舘」と地名を入れられて機械ロクロ作と区別をされています。また、機械ロクロ作「晃」は、嶽時代の「晃」とは違った独特な書体で区別されます。

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