請地町山車

「高崎山車まつり」

毎年8月の第一土、日に開催されている「高崎まつり」と「高崎山車まつり」は、「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と歌によまれた往時を彷彿させるエキサイティングなまつりである。 高崎の起源は、箕輪城主、井伊直政が「高崎」と名付けた慶長3年(1598年)にさかのぼる。高崎と名付けられてから119年後の享保2年(1717年)、旧高崎藩主大河内家を祀った頼政神社のまつりが始まった。このまつりが高崎まつり、高崎山車まつりの起源と言われている。頼政神社の祭典には「山車(だし)」が使われた。山車は、神社の祭礼の時に引く、さまざまな装飾を施した屋台のことで、関西では「山(やま)」「鉾(ほこ)」などとも呼ばれている。 現在、高崎市には38台の山車がある。これらの山車の屋根の上には、天照大神、恵比寿などの縁起物、牛若丸や浦島太郎、静御前などさまざまな人形が乗せられている。また、まつりに欠かせないのがお囃子。高崎のお囃子は神田ばやしの影響を受けているが、曲名が同じなのに随分と印象の違うものがあるのが特徴で、江戸まつりの囃子と「頼政神社の祭典」から続く在来の囃子が融合して、現在の囃子になったと考えられている。山車を所有する38の町内ごとに独自の囃子があることと、子どもが太鼓を叩くのも他のまつりにみられない特徴だ。毎夜、夜風とともに流れてくる囃子の練習の音は、まつりとともに高崎の夏の風物詩のひとつになっている。 近年、38台すべての山車が引き回されたのは、市制100周年にあたった平成12年(2000年)のこと。このような節目の年以外は、半分ずつが参加する輪番制をとっている。