先日、ヤフオクに、凄い古品こけしが数十点出品されていた。それぞれが、数十万円から100万円前後で落札されていた。その中で、上記の盛秀こけしが4点(細身の亀模様は2本出品、右端は参考の昭和33年作)あり、各200万円前後で落札された。
私の手基に、昭和29年11月発行の「こけしの郷愁」―津軽特集―(東京こけし友の会発行)がある。そこで、鹿間時夫さんは、「津軽・長おぼこの研究」の序で、「豊麗をよろこび、完成を貴ぶのが人の人情の常とすると、その対極的なものが、つつましく呼びかけるもの、それは未完・未熟な少年の野蛮な美に対する郷愁ではあるまいか。津軽系(温湯系でもよい)に達すると、私達は今までのこけしとはかなり違った感覚.感銘を覚える。」と述べられる。そして、表題「津軽系をこけしとみなすや否や」では「或人はぷっとふき出す。或人はまゆをひそめる。或人はにやりとする。そして云う。『これはひどいね。これでもこけしかね。』『こんな顔なら僕でも描けるね。』、、、、、、、津軽の長おぼこはこの悪罵によって、しょげてしぼんでしまう。髑髏のように、ひょろ長く、グロテスクな顔で僕等の云うことが判らないような格好だ。しかし、この飾り気のない素気ないほどの野蛮な顔に、二十四の瞳を想起する人もいるかもしれない。アルカイズム童画の持った天真爛漫さ。」とし、「津軽系は厳密な意味でのこけしとは違うが、広い意味でのこけし(東北の木地師が木をロクロにかけて挽き描いた伝統的な人形)に属する。」あり、当時の津軽系こけしに対する評価が良く分かります。そして、最後に「津軽長おぼこの現状は楽観を有さない。蒐集家は戦後、この地を訪れず、工人を元気づけない。アブレこけしのみが氾濫し、彼等は長おぼこ製作を断念したのではなかろうか。盛のみが作っているが、その表情は徒らに甘美を模倣し内心から迫るものを持っていない。今昔の感に耐えないものがある。古い作を持参して再教育すべき工人として盛なぞは、まず有望な方であろう」と結んでいる。
現在においても「津軽こけし(特に、甘美になった盛秀こけし)は、伝統こけしではない」と、拒絶されている蒐集者もおられる。今晃さんが「津軽こけしの源流を求めて!」と、津軽こけしが生み出されるべく彼の地を求めて、嶽開拓地に移住をされ、製作された本人型こけし群は、同じように「今のこけし(本人型)は、伝統こけしではない!」と、距離をおかれている。
下図こけし群像は、今晃さんの盛秀型こけしと本人型こけし群です。