阿部木の実さんは、現在(9月25日~10月1日)、新宿京王百貨店で個展を開催されています。また、 Kokeshi Wiki」(http://kokeshiwiki.com/?p=954)「に「阿部木の実」が掲載されました。そこには、「ただ新考案の木地人形を作り続けると、伝統こけしの生命力のある強さに魅かれて無性に作りたくなり、伝統こけしを作り続けると、新しい意匠が次々頭に浮かんで堪らなくそれを作りたくなると語っていた。伝統と新考案とは木の実にとって車の両輪のようなものなのであろう、いずれが欠けても成り立たないのかもしれない」と書かれている。
今晃さんの本人型(新意匠)こけしをみるときにも、同じような思いがあります。今晃さんのこけし図譜「木おぼこ・今晃」の「今晃さんのこけし遍歴」には、以下のように書いた。
現在においては、これら本人型を含めた今晃さんのこけしを「こけしの美として共通の確信として評価していくこと」が肝要である。この件について、今さんからの手紙(平成22年2月)には「今晃がこれからどう評価されるかは分かりませんが、取り敢えず、作ったものが残ってきました。勝負はこれからと思っています」とありました。「穏やかさの中に、並々ならない決意と自信か」と思います。自分の歩んできた道を自負され、これからも絶えない意欲を示されていました。現在を蒐集している私達にとっては「頼もしい、期待すべき一言」です。
この件に対して、橋本正明さんにご意見を求めたところ、(平成25年3月)ホームページ「木人子室(ぼくじんししつ)」―こけしの文化史―(4)「こけしの世界の物語」を明示された。そこには「フッサールの万人の主観と一致する客観などはない。主観をもとに多くの人がそれを言葉で交換しあって、共通の確信に到ったものが客観とか真理とか呼ばれるものだ」などなどのポストモダンの思想を示され、その概念からの(伝統)こけしにおける呼称の変遷を示される。そして、「、、、、我々の向こう側に客観的な『こけし』と呼ばれる対象があるわけではない。多くの人、多くのこけし愛好家でもいい、その人たちがあれは『こけし』だと『共通の確信』を持ったものが『こけし』だ。したがって、多くの愛好家の世代が移っていけば、それも変わりうるだろう。例えば、今晃の新意匠のもの(本人型=創作伝統こけし)、阿部木の実の新意匠のもの、あれは実に魅力的なものだ。」と結ばれている。
橋本さんからのお返事には 「今晃の新意匠こけしが伝統こけしか、『完璧な純粋こけし』か、言い方はいろいろですが、こけしの世界の概念については、以前HPに書いた以上のことは特にありません。坂入さんが『これがこけしだ.』と主張することは大いに結構なことで、それをサポートする人が多くなれば、それが世の中の『共通の確信』としての『こけし』になると思います。そうした『共通の確信』で支持される以外に、言い換えればその外側に『真理として完全なこけし』と言うものがあるわけではありません。以前、土橋さんは『こういうものが伝統こけしだ』と『完璧なこけし』をいろいろ言いましたが、それは彼個人の夢でしかありません。今さんの『新しい挑戦している(新意匠)こけし』も、これはまだ自分のこけしの感覚とは違うという人が多いなら、こけしの外側の何か別の形容詞がつくこけしに留まるでしょう。坂入さんのように『こけしとしかいいようがない!』という人たちの『共通の確信』が形成されれば形容詞なしのこけしでしょう。いづれにしても自分からメッセージを発しない限り『共通の確信』は生まれないのですから、坂入さんのお考えで図譜を完成させるのは重要です。支持者がでてくるか、批判者がおおいか、それは新しい世界を展開させるために必要な関門なのですから。」とありました。