「27」「こけしの郷愁」―津軽特集・第9冊―(昭和29年11月)

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東京こけし友の会は、昭和28年8月発足し、機関紙「こけしの郷愁」を発行された。その第9冊目として、「津軽特集」を昭和29年11月に、鹿間時夫さんの執筆で「津軽・長おぼこの研究」としてまとめられた。ここに、その一部「津軽系をこけしとしてみなすや否や」の全文を掲載しました。その当時、津軽こけしをどのように見ておられたのか、よく分かります。
「こけしの郷愁」―津軽特集―東京こけし友の会発行(鹿間時夫執筆)
「津軽・長おぼこの研究」
豊穣のよろこび、完成を貴ぶのが人情の常とすると、その対極的たるものが、つつましく呼びかけるものーそれは未完、未熟な少年の野蛮な美に対する郷愁ではあるまいか。
津軽系(温湯系でも良い)に達すると、私達は今までのこけしとかなり違った感覚―感銘を覚える。
・津軽系をこけしとみなすや否や
或人はぷっとふき出す。或人はまゆをひそめる。或人はにやりとする。そして云う「これはひどいね。これでもこけしかね」「こんな顔なら僕でも描けるね」「いや、まねをするのに骨がおれる位だよ」「よくもこんな物売ったものだね」「僕とこの子供が小学校でこんな絵描いていたよ」「ちっともかわいくないしゃないかー人形なのかしら、すくなくとも人形という感じの物じゃあないね」
津軽の長おぼこは、この悪罵によって、しょげこんでしまう。蝋燭のようにひょろ長く、グロテスクな顔で僕等の云うことが判らないような格好だ。しかし、この飾り気のない素っ気ないほどの野蛮な顔に、二十四の瞳を想起する人もいるかもしれない。アルカイズム童画の持つ天真爛漫さ。ここで私が主張したい点。
津軽系は厳密な意味のこけしとは違うが、広い意味のこけし(東北の木地師が木をロクロにかけて挽き描いた伝統的な人形)に属する。華麗な菊花模様の伝統は持たない。木地師は南部系と同様、京都系らしく、筒井の支配下にはなかった。蔵王周辺部や鳴子、作並辺等、陸前あたりの木地人形とは伝統的発生がことなる。描彩は重要でない。この点、南部系と似ている。
昭和10年頃、弘前の木村弦三氏が盛んに頒布された大鰐、弘前等の長おぼこは、無理に創作的に作らせたものではないかと疑う人もいるようであるが、たとえそのような風潮があったにしても、それは近代の粉飾であって、それ以前に、津軽の木地人形が存在し、商品でなくても、子供達の伴侶をつとめていたらしいことは緒家の説くところである。注目すべき点は次のようではないだろうか。
一、 津軽の長おぼこは、こけし(きぼこ的人形)の発生段階を暗示する。描彩は未熟で野蛮であるが、他系の影響を受けようとしている。
二、 こけし蒐集家が注目するようになってから急に描彩の粉飾をし、商品化しようとしたので、描彩の伝統的育成が充分でなく、舌足らずの感じがする。
三、 これをきぼこ的人形と同一に視てはならない。こけしを表情の芸術とすれば、津軽木おぼこはこの表情的領域を拡張するものである。ピカソはネグロ芸術に暗示を得た。あのグロテスクな未熟な野蛮な、薄気味の悪い、すごい芸術に。ああした人形は愛撫の対象ではない。神や悪魔の像であった。
・津軽の木地業(省略)
・津軽長おぼこの発生と変遷(省略)
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「こけしの郷愁」(全12冊)は、「ひやね」さんの「こけし往来」で入手しました。「こけし手帖」全652冊のうち、創刊号から昭和57年分、各年度ごとに青い表紙で表装されているのをヤフオクで入手しました。(どなたがこのように製本をされたのか知りたいです。ご存知の方お教えください。)バックナンバーはヤフオクや知り合いの方々の協力を得、全冊入手しました。(友の会での復刻版2冊もヤフオクです。)
毎晩、布団の中に入ると、睡眠薬代わりに、眺めています。その時代、時代浮かんできます。

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