「34」 F「嶽今晃・本人型」の全てを新規掲載!!

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「今晃のこけし」-今晃こけし・坂入コレクション解説―の F「嶽今晃・本人型」の全てを新規掲載!!
今さんは20歳代から「木の花」にも取り上げられ「天才、現れる!」というほどの評価、期待をされた。弘前時代、そして、鳴子修行以降の館、禰宜町時代を経て、図譜「木おぼこ・今晃」の「今晃さんのこけし遍歴」では、「今さん自身は、さらなる『津軽こけしの源流を求め!』られる。こけし制作生活環境をも『津軽こけしが生み出されるべく彼の地を求め!』、弘前市街地居住から、冬期の厳しい豪雪地、嶽温泉開拓地への移住を決意された。」と。このような今さんの「津軽の源流を求めて」作られた本人型こけしは、溢れ出る熱情に突き動かされ、止めどもなく次から次へと生まれ出たようである。その瞬時、その時々、その時代時代にしか生まれ出でないこけしです。所謂、この本人型こけしは、清俊夫さんや桑原金作さんらのように、大いに評価される方々もおられました。
しかしながら、東京の伝統こけし専門店「おおき」さんを始め、多くの伝統こけし愛好者からは「これは伝統こけしではない!」と、みなさんに距離をおかれ、離れていった方々が多かったようです。(秋田こけし会通信での今こけしを巡る論争や「こけし往来・今晃挑戦記」を参照)そのような評価で、こけし販売も儘ならず、生活的には苦境に陥ったようです。作ったこけしの大半をダンボールに詰めては桑原さんに送っておられた。その膨大な今こけし群が、本人型の全てのこけし群が、結果的に桑原さんの手元に集まったのです。はじめて見られる今こけしも多々あるかと思います。
これらの「嶽今晃・本人型」こけしの全てを掲載しましたので、その全貌を楽しんでください。そして、現在の方々、みなさんが「その本人型こけしをどのように評価をされるのか」、期待をしています。これ以降、「晃・本人型」こけしも編集し、お届けしますので、ご期待ください。
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