左は今晃さん作19cm・ポピー模様のこけし(平成28年6月9日作)です。右は阿部木の実さん作15cm、海辺の風景のこけし((平成29年3月3日作)です。
カメイ美術館から「阿部木の実の世界」展の案内が届きました。展示会は、平成29年4月25日から8月20日開催されます。案内パンフには、3月に送られてきた上記写真の本人型こけしが掲載されていました。木の実さんは「伝統の奥深さに、創作の躍動感を入れたい」と語っておられます。胴模様は海辺の風景のようで、遥か沖にカモメが飛び、浜辺には蝶が舞い、貝殻などがあります。こけしの表情とも何か詩情が漂っている。このこけしは伝統こけしなのだろうか?何こけしと呼べばいいのだろう!
図譜「木おぼこ・今晃」を発行した時には、「今晃のこけし(本人型)は伝統こけしではない!」と言われます。伝統こけし界には、今晃さんの本人型こけしにはかなりな反発と批判があることに、今さがながら驚いています。私は、逆に、この今晃さんのこけし、特に、本人型こけしにも魅了され、「今晃さんの膨大な本人型こけし群を、みなさんに見てもらいたい!」との一念でこの図譜を作ったのです。そして、図譜の「今晃さんのこけし遍歴」で以下のように書いた。みなさんにおかれましては、今晃さんの本人型こけしをどのように見られておられるのでしょうか!!
図譜「木おぼこ・今晃」の「今晃さんのこけし遍歴」333ページ~334ページ抜粋。
現在においては、これら本人型を含めた今晃さんのこけしを「こけしの美として共通の確信として評価していくこと」が肝要である。この件について、今さんからの手紙(平成22年2月)には「今晃がこれからどう評価されるかは分かりませんが、取り敢えず、作ったものが残ってきました。勝負はこれからと思っています」とありました。「穏やかさの中に、並々ならない決意と自信か」と思います。自分の歩んできた道を自負され、これからも絶えない意欲を示されていました。現在を蒐集している私達にとっては「頼もしい、期待すべき一言」です。
この件に対して、橋本正明さんにご意見を求めたところ、(平成25年3月)ホームページ「木人子室(ぼくじんししつ)」―こけしの文化史―(4)「こけしの世界の物語」 http://bokujinshi.info/sekai.htm を明示された。そこには「フッサールの万人の主観と一致する客観などはない。主観をもとに多くの人がそれを言葉で交換しあって、共通の確信に到ったものが客観とか真理とか呼ばれるものだ」などなどのポストモダンの思想を示され、その概念からの(伝統)こけしにおける呼称の変遷を示される。そして、「、、、、我々の向こう側に客観的な『こけし』と呼ばれる対象があるわけではない。多くの人、多くのこけし愛好家でもいい、その人たちがあれは『こけし』だと『共通の確信』を持ったものが『こけし』だ。したがって、多くの愛好家の世代が移っていけば、それも変わりうるだろう。例えば、今晃の新意匠のもの(本人型=創作伝統こけし)、阿部木の実の新意匠のもの、あれは実に魅力的なものだ。」と結ばれている。
橋本さんからのお返事には 「今晃の新意匠こけしが伝統こけしか、『完璧な純粋こけし』か、言い方はいろいろですが、こけしの世界の概念については、以前HPに書いた以上のことは特にありません。坂入さんが『これがこけしだ.』と主張することは大いに結構なことで、それをサポートする人が多くなれば、それが世の中の『共通の確信』としての『こけし』になると思います。そうした『共通の確信』で支持される以外に、言い換えればその外側に『真理として完全なこけし』と言うものがあるわけではありません。以前、土橋さんは『こういうものが伝統こけしだ』と『完璧なこけし』をいろいろ言いましたが、それは彼個人の夢でしかありません。今さんの『新しい挑戦している(新意匠)こけし』も、これはまだ自分のこけしの感覚とは違うという人が多いなら、こけしの外側の何か別の形容詞がつくこけしに留まるでしょう。坂入さんのように『こけしとしかいいようがない!』という人たちの『共通の確信』が形成されれば形容詞なしのこけしでしょう。いづれにしても自分からメッセージを発しない限り『共通の確信』は生まれないのですから、坂入さんのお考えで図譜を完成させるのは重要です。支持者がでてくるか、批判者がおおいか、それは新しい世界を展開させるために必要な関門なのですから。」とありました。