「100」 本人型こけし摸索時代(館時代)のこけし!

今晃さんは、昭和56年10月、鳴子の岡崎斉司師匠から弟子あがり、帰弘。11月、弘前市内金属団地に居住し、「こけしの館」にて、長谷川健三さん、本田功さんと一緒に木地玩具などを制作していました。(この製作時代を「館時代」と言います。)清俊夫氏の「木おぼこ・今晃」の序文「鳴子から帰ってきた今晃君」には、『「観光地の観光施設で制作することにジレンマ」「作りたいもの、作るべきものを作る、迎合するようなものは作らない」と、この時期(57年4月)、今さんはすでに、金属団地の自室で、「創作伝統こけし」と呼ぶようになるものの試作を重ねていたようである。』とあります。

同時に伝統的津軽の「伊太郎型」「幸兵衛型」そして、師匠辰雄さんが描彩された「辰雄型」「金次郎型」「島津型」などなども作られていました。

清さんが言われる嶽時代の「創作伝統こけし」(私は「本人型こけし」といっています。)とは少し違った、館時代の本人型こけしは「伊太郎型」「辰雄型」などの伝統的型(面描)に、「何か、新たな胴模様を描いてみよう」と、試作挑戦をされています。「B032」の「伊太郎型」には胴模様を敢えて描かなく、余白を味わい、「B031」の「伊太郎型」には簡単な5弁花を描き、その2本の違いを試しておられます。「B035」の「辰雄型」にカタクリ(ヤフオクで入手)を描き、「B030」には5弁花が描かれ、胴裏には練習的な花模様が描かれています。「B031」「B030」には、署名がなく(非販売品)今さんの作業棚の隅にあったものを桑原さんが譲ってもらったようです。これらが今さんの「館時代の本人型試作時代のこけし」です。そして、禰宜町時代の本人型こけしへの模索、嶽移住後の本人型(「創作伝統こけし」)こけしへと昇華していきます。

 

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