東京こけし友の会幹事さんで、国恵さんのブログ「こけし千夜一夜物語」http://fukujyusoan.moe-nifty.com/kokeshi_fan_night2/ の「第217夜・今晃さんの闇夜こけし」、「第218夜・こけしの不思議な縁(今晃)」で、今晃さんの初期の「闇夜こけし」と「アヤメ模様こけし」のエピソードが紹介されていました。
「闇夜こけし」は、先日、ヤフオクに出品され、このブログ「93・今さん訪問と鳴子こけし祭り」で紹介した「館時代」のこけしと今年9月作の新作です。アヤメ模様こけしは、東京こけし友の会機関紙「こけし手帖」で頒布された、図譜「木おぼこ・今晃」 http://sanejiro.sakura.ne.jp/main/?page_id=11 に掲載されている「長谷川辰雄弟子時代(辰雄さんと一緒の製作場面写真)」のこけしです。その当時の話、今さんが初めてこけしに触れあった高校三年生の時(昭和47年)から、今さんが病に倒れられ療養されておられた平成24年12月までの40年間(大館移住以前)、今さんのこけし遍歴をお聞きしました。図譜「木おぼこ・今晃」の「今晃さんのこけし遍歴」として、弘前初期時代や鳴子修業時代、弘前の館時代や禰宜町時代、そして「嶽・今晃」や「晃」時代でのこけし遍歴、エピソードを書きました。そこには一人の伝統こけし工人さん・今晃さんの姿があります。ご覧いただけましたら、嬉しいです。
また、図譜には、今晃さんの「こけし署名の変遷」を写真紹介しています。初期の弘前時代、『師匠に「署名はしっかり書くように!」と言われ、習字を習って楷書体に書いた』、『本田功さんに「弘前で作っているのだから」と言われ、「弘前・今晃」と書いた』などのその時々のエピソードがありました。このブログ「62・今晃こけし署名の変遷」 http://sanejiro.sakura.ne.jp/main/?p=594 には、大舘に移住してからの二人挽きロクロ作「大舘・今晃」や「晃」を書き加えました。今さんのこけし署名は各時代によって違っており、その署名を見るとそのこけしが作られた時代が良く分かります。
10月21日、22日、津軽こけし館のこけし工人フェステバルでは、今さんのお弟子さんの石川美祈子さんのこけしも出品されます。ぜひご覧いただき、ご支援をお願いいたします。
長谷川辰雄弟子時代(昭和50年)、今さんの21歳ころの写真です。図譜の「今晃さんのこけし遍歴」には、『「昭和49年12月末、佐々木金一郎さんに弟子入りが決まっていたが、弟子入り前日(昭和50年1月30日)急逝された。葬儀時、長谷川辰雄さんに弟子入り(2月)が決まる。昭和51年3月下旬まで、大鰐の金一郎作業場で、師匠と一緒に制作(「A018」)をする。4月、弘前市門外町に辰雄師匠と一緒に移住し、辰雄型こけしを制作する』と書いています。
「こけし千夜一夜物語」Ⅱの「第219話・今晃の闇夜こけし(2)」として、その続編が公開されています。ヤフオクに出品をされた方にお聞きしたら、「本田功さんの闇夜こけしもあった」とのことでした。(左写真の左が今さん作で、右が本田さん作です。)
この当時(昭和56年11月)今さんは、鳴子の岡崎斉司さんから弟子上がりをされ、弘前の「こけしの館」で、長谷川健三さんや本田功さんと一緒にこけしを作っておられました。この闇夜こけしは、「本田さんとの話のはずみで作ったような気がする」とも話されていました。国恵さんの指摘のようにこけしの形態はよく似ていますので、話をしながら作られたのかもしれませんねぇ~。中央写真のこけしは、今さんが木地を挽き、本田さんが描彩をされたこけしです。(左写真は合作こけしの署名です。)今さんと本田さんとの関係は、辰雄さんから出仕上がりした時には本田さん宅に居候、鳴子修業も本田さんの紹介、そして帰弘後の「館時代」と今さんの転機には、本田さんの姿があったようです。そして、昭和57年9月、結婚を機に独立されて、こんさんの禰宜町時代が始まります。(図譜の「今晃さんのこけし遍歴」より)