[41]    「笹竹こけし」誕生、本人型こけしへの挑戦!!

 晃さんは、昭和58年5月31日、弘前市禰宜町から嶽温泉開拓農家集落に移住をされ、温泉土産こけしを意識されて、通称「笹竹こけし」を制作された。

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      58年7月        58年11月    22年4月    25年1月

 この「笹竹こけし」誕生秘話は、清俊夫さんの「今晃さんのこけし」(14)に以下のように書かれている。「このこけしは、金次郎型の顔に、地元の名物、地竹の子の笹の葉の胴模様を、笹竹の茎を意識した胴に配したものです。胴底には、『嶽今晃』、胴裏には『嶽温泉』の墨書があります。私には、津軽の風土にマッチした良いこけしに見えますが、観光客には殆ど売れなかったようです。
 今さんは、58年5月31日に弘前市禰宜町を離れ、嶽牧場と呼ばれている開拓農家集落に移り住みました。しかし、轆轤用の配電工事の遅れで、嶽でのこけしを製作し始めたのは、6月の末で、私が『嶽今晃』の署名の入ったこけしを入手したのは、6月27日でした。それからすぐに、本来の用途である温泉土産を意識して作られたこけしが、この笹竹こけしになります。、、、今さんのこけしは、あまりにも昔の津軽的なものであって、今の津軽の人々には違和感が強すぎるのかもしれません。、、、『あるべき津軽こけし、あったはずの津軽こけしを幻視して、それを次々に現実化して行った。』と私は考えています」
とあります。
 桑原金作さんは「今晃のこけし」の中で、「この笹竹こけしがなければ、『今晃こけしコレクションにはならない決定的に必要なこけし』という超貴重品の稀品である」「笹竹こけしは、嶽温泉おみやげこけしとして創意工夫して、竹の節を胴形に挽き上げた本人型こけしである」と述べられる。金次郎風の顔は優しく、別趣に表現されており、迫力があり、土の香りも強く、手絡描きが良く似合っている。眉太く、目は上瞼の描き方が素早く長い、眼点の打ち方が三本の横鬢と共に誠に美しい。鼻は猫鼻ですが、良く見ると独特な癖で描かれている。口は赤の二の点で表現されて非常に珍しく、今すぐ話をしたい様な口元で楽しく見える。非常に美しいフォルム、木地仕上がりになっており、特に竹節の表現は見事であり、ロクロ線赤と青で、黄胴の竹帯は青で描いている。下地の黄色に青の葉を描いたのが緑色で現れ、赤は赤でも白胴の赤より厚く見える。白胴は、赤は赤で、青は青とハッキリ分かる。今さんは面相筆を使用せず、普通筆で描くので、こけしの迫力や野性味、泥臭さの表現は、その他の工人に見られない独特の美しさがある。

20151127_6.jpg また、59年2月5日付け、東奥日報記事では、「岩木町の嶽高原、ここで、大鰐こけしの流れを汲みながら、全く新しい型のこけしが産声を上げて7ヵ月になる。名付けて岩木こけし。」とある。そして「、、、、伝統にとらわれず、独自の今さん流こけしの開発に打ち込んだ。『おみやげ的な要素がなければこけしではないと思います』というのが信条、この発想から、従来の形を度外視して、力を入
20151127_7.jpg20151127_8.jpg20151127_9.jpgれているのが表情豊かなこけしだ。笑ったり、怒ったり、泣いたり、『人間の喜怒哀楽の表情こそが人生である』とし、これら心の内面をこけしに盛り込むのが今さんの最終目標となった」と、その抱負を語っておられます。弘前市内に居住されていたときから、「津軽の本来あるべくこけしを求めて!」「津軽こけしが生み出されるべく彼の地を求めて!」と、本人型こけしへの希求、いろいろと模索や始造をされておられたようである。特に、20151127_12.jpg20151127_11.jpg20151127_10.jpg嶽温泉開拓地への移住は、「嶽温泉土産のこけし」製作へと進み、「笹竹こけし」を生み出されたようです。その思いは、留まることなく湧き溢れ、今晃の世界で昇華し、幾多の本人型こけしが現出していったようである。しかし、、、、、、、、、

[39]   「木おぼこ・今晃」―坂入ボックスー平成27年を掲載!!

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[39]   「木おぼこ・今晃」―坂入ボックスー平成27年を掲載!!
「木おぼこ・今晃」―今晃こけし図譜―には、昭和47年初作から平成25年12月製作までのこけしを掲載しました。それ以降、平成26年1月から製作されたこけしは、その全てのこけしを「坂入ボックス」として収蔵し、このHPにおいて公開しています。将来的には、「木おぼこ・今晃」Ⅱ―今晃こけし図譜・坂入ボックスーとして、「木おぼこ・今晃」―今晃こけし図譜―の続刊として、再編集して発行をします。
平成26年1月は、こけし機材を大館に搬出してしまった嶽において、二人挽きロクロを作られ、こけし製作を開始された。4月には「木おぼこ・今晃」-今晃こけし図譜―を発行し、その記念こけしを嶽での最後のこけしとして製作された。5月に、大館に転居されて、大館初作の二人挽きや機械ロクロでのこけし製作を開始されたのでした。
そして、平成27年4月に、沼田元気さんがこけし時代社から「KONNBOX」―今晃木形子特装本―を発行された。そこには、8寸こけしや二人挽き2,3寸こけし、板絵にエジコなどなど、各200本に及ぶ膨大な製作でもあった。平成25年の重篤状態から奇跡的回復、復帰されたとはいえ、1年以上もの製作期間をかけ、かなりの体力と気持ちの充実を要したようです。今回、それらのこけしを含めた平成27年の「坂入ボックス」を掲載しましたので、ご覧ください。
平成27年3月1日に、初孫が生まれ、今さんには、初孫誕生祝こけしや木地玩具を作っていただきました。初節句には、こいのぼりなども出してお祝いをしました。「これからも、木地玩具を!」とお願いしましたら、「構想や、こいのぼりなどのパーツの多い木地玩具は、大変なんだヨ~」との事でした。
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「40」  阿保金光さんがお亡くなりになりました。 

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「40」  阿保金光さんがお亡くなりになりました。  
10月26日、津軽こけし館のブログで、「皆様、とてもとても悲しいお知らせがあります。10月23日金曜日、津軽系 阿保金光工人がお亡くなりになりました。」との訃報がありました。翌日のブログには。津軽こけし館の山田さんが、「金ちゃん」と題し、「○×▲◆~!~%~!!!  ガハハっ!」何を言っているか良くわからない事が多かったけど、正直、金ちゃん語の解読に関してはかなり上級者だったと思う。その人柄を偲ばれておられます。
このHPに掲載してある「こけし蒐集・津軽の旅と似顔絵」 http://sanejiro.sakura.ne.jp/tsugaru.html に、2006年第19回こけし工人フェステバルに、似顔絵を描くために工人さんを訪ねました。「さあ~!こけしのふる里、温湯だ! 紅葉間近の森林帯を突っ切る。民家はみえないが立派な道路が続く。ダムやダム湖、観光用の幟や旗がひしめき、「さんままつり?」この山の中にサンマ?と思いながら走っていると、『温湯温泉街』という錆びた看板が目に入る。まず、津軽こけし館に伺う。実演工人阿保金光さんにお会いし、持参した似顔絵8枚を見せると『あら~、佳樹さんだ!』『そう、美津雄さんは、いつも肩に手を当て、このポーズよ』と話が進む。金光さんから『ダルマ模様のこけし』を差し出され、『オレにも描いてほしい!』と依頼される。なかなか、津軽人どうしの津軽弁は?でした。」とある。しかし、実際には、強面の金光さんの津軽弁がまったく、理解できずに、困っていたのでした。家にお邪魔をしたこともありました。
豪快な佐藤佳樹さんとは「俺は佳樹、お前も良喜か!」と、その数年後には、こけし手帖に「もう、届かないこけし!」との弔辞を書くことになった。そして、小島俊幸さんの急逝である。今度は、金光さん!!!   ご冥福をお祈りいたします。
今さんや美津雄さんは、体調が優れずと、、、 、しかし、正文君に優志君、鳴子で修行中の小島さんの娘さん、そして、もう一人の若者に!!

「38」   甥の古川一が、漫画家デビューをしました。

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「38」   甥の古川一が、漫画家デビューをしました。
私の甥・古川幸一が、「降る川光一」というペンネームで、漫画家としてデビューしました。現在は、「古川一」としてがんばっています。本人はブログ「降りそそぐ黒インク」http://fallingriver.blog137.fc2.com/を発信していますので、ぜひ、覗いて下さい。(このHPからもリンクをしています。)
私も、40数年前の学生時代、漫画雑誌「ガロ」を眺めていたものです。遅ればせながら、十数年前に「ガロ」を全巻、白土三平さんのカムイのリトグラフ、そして林静一さんにもお会いし、版画を譲っていただきました。
土湯を旅し、昔のアサヒ写真館の店頭で、色褪せた目鼻だけしか残っていなかった阿部計英さんのこけしを見つけ、何か、つげ義春さんの「チ~コ」に、出会ったようなおもいでした。そこから、私のこけし蒐集が始まったようです。68.JPG69.JPG

「36」 スターンご夫妻、東京アメリカンクラブにて、こけし講演!

スターンご夫妻、東京アメリカンクラブにて、こけし講演!
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スターンご夫妻が、4、5月に続き、9月にも再来日をされました。東京にショートスティをされて、土湯こけし祭りや鳴子こけし祭り、各地のこけし産地を訪ねておられます。また、東京アメリカンクラブおいて、「こけしのお話(wonnderful japanese kokeshi dolls)」を講演されました 続きを読む

「35」 初孫、晴冶くんへのおもちゃ!!

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初孫、晴冶くんのおもちゃを作りました。
30年前、一人娘に作ってやったおもちゃ群があります。その娘がこの3月に、初孫を産みました。今さんや是伸さんなどなどに、初孫記念こけしや初節句の鯉幟んどの木地玩具を作ってもらいました。 続きを読む

「33」 HP「木おぼこ・今晃」から、初めての図譜の注文!!

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平成26年4月に、こけし図譜「木おぼこ・今晃」を発行し、HP「木おぼこ・今晃」も立ち上げ、今晃さんのこけし、今晃さんに関する情報を発信してきました。しかしながら、HPからの図譜の注文は、この1年間で1冊もありませんでした。正直、がっくり落胆をしていたのですが、先日、初めての注文がありました。その方のお話をご紹介いたします。 続きを読む

「32」 今こけし「坂入ボックス」、今さん訪問!!

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6月25日~28日、JRの大人の切符を利用して、大館の今さんを訪ねてきました。高崎を早朝に発ちますと、新青森、弘前周りの大館で、お昼前に着きます。いつもは、街中で比内地鶏の親子丼を食べるのですが、駅前をウロウロしていると偶然にも、昼飯を買いに来られた今さんにお会いし、お昼食は急遽、比内地鶏駅弁になり、93歳のお母さんが作られたミズの酢ものも味わうことができました。 続きを読む